ちゃん、誕生日おめでとう」

「ありがとうございます、おばさん」










                ………Comparison‐T










夕暮れ時、買い物袋をさげた和服姿の女性にかけられた祝いの言葉。

立ち止まって礼を言ったあたしに、隣家のでっかい道場主の奥様はにこにこと相好を崩す。



「学校帰り?確か今日誕生日だったわよね?」
「はい。おばさん、よく覚えてましたね」
「そりゃあ可愛い可愛いちゃんの事だもの」



にこにこと笑顔を崩さぬまま、心底嬉しそうにおばさんは言葉を紡ぐ。
お隣の日吉家のおばさんは、生まれてから15年来のお付き合いだ。
無難に礼を言うあたしに、おばさんは嘆息しながら会話を続ける。



「もう15歳よね?早いものねぇ…女の子は本当に成長するのが早いわ」
「そうですかー?自分じゃまだまだ子供な気分ですけど」
「そんな事ないわよ。うちは男の子しかいないから、ちゃんを見ると女の子ってやっぱり違うなって思うもの」



頬に手を当てたままの体勢で、おばさんはあたしを上から下まで一瞥して心底うらやましそうにため息をつく。

息子2人のみをもつおばさんはよほど女の子が欲しかったのか、折に触れてこのような話題を持ち出す。

これが始まると長いんだよなぁ、と内心苦笑したあたしの気持ちを知ってか知らずか、おばさんはとつとつと心情を語り出す。



「うちは2人とも男の子でしょう?娘と一緒にお菓子作ったり買い物したり…おばさん、けっこう夢だったのよー」
「一緒に料理や買い物、ですか?」
「そう。うちの息子たちじゃ無理でしょ?」
「…………確かに」


間違っても台所に立ちそうにない、隣家の長男と次男を思い浮かべて小さく苦笑すると、おばさんはまたひとつ小さくため息をつく。



「隆も昔はよく、若みたいな生意気な弟じゃなくて可愛い妹が欲しいって言ってたわね」
「へぇ、隆さんもそんな事言ってたんですか」
「どうせなら、ちゃんが養女に来てくれたらいいのに、なんて言ったら、ちゃんのお母さんに怒られちゃうかしら?」
「いやぁ、むしろ喜んで差し出すかと思います」


あながち外れてもいない予想を遠い目で呟くあたしに、「ちゃんってば冗談が上手ね」とおばさんは上品に笑う。

いえ、冗談じゃないんです、うちの母ならそれぐらい余裕でやります―と言い掛けたあたしの背を急に誰かが叩く。否、のしかかる。



「母さんの意見、賛成。どうせなら、若とちゃん交換しない?俺も生意気な弟より、かっわいい妹がいいな」
「え、わ」
「あら、隆。帰ってきたの?」
「親父から呼び出し。………久しぶりだねーちゃん。元気にしてた?」



いきなり背中にかかった重みと、耳元で響く若とよく似た、けれどどこか柔らかさを含んだ声。

背中から抱きつかれた(というより抱え込まれた)体勢のまま、首だけ後ろに回せばこれまた若とよく似た切れ長の薄い瞳に出会う。



「た、隆さん?どうしたんですか、いきなり」
「たまには道場に顔出せって親父に呼ばれてさ。しょーがなく帰ってきたら懐かしい声がするから抱きついちゃったんだよねー」
「それある意味犯罪ですよ」



非難するあたしの声を綺麗に無視して背中に引っ付いたまま、隣家の跡取り長男は憂うつそうに道場の方を見る。



「組み手の相手なら若がいるだろーに………あー、めんどくせー」
「若も今テニスで忙しいのよ。あなた大学、暇なんでしょ?たまにはお父さんの相手してあげて頂戴」
「へいへい」



うっとうしそうに返事してようやくあたしから離れると、腕時計に視線を落として隆さんは小さく呟く。



「やべ、そろそろ時間だ。じゃあね、ちゃん。母さんも後で」
「はいはい、きちんと鍛錬してくるのよ」
「さようなら、隆さん」



ひらひらと後姿で手を振る隆さんの反対の手には、いつの間に奪ったのか先ほどまでおばさんが抱えていた、重そうな買い物袋。

見ている側が気づかないようなごくごく自然な気遣いっぷりが出来る隆さんに、弟とは正反対だな、と内心小さくため息をつく。














若に気遣いとか他人を思いやる気持ちがないとは言わないが、いかんせん未熟なせいか、若は自分の事だけに必死で周りが見えてない傾向がある。















そして、それは氷帝に入ってから。正しくは、テニス部に入ってから、ますます顕著になった。
















もう少し成長すれば、おのずと周りを見てやれるほどの余裕も出てくるだろうが、隆さんが若と同じくらいの年には、もう他人を気遣うだけの余裕と自信を兼ね備えていたように思う。
















「さて、それじゃあ夕飯の材料も隆が持って行ってくれたし。そろそろ支度しなきゃだわ」
「あ、はい」
「長々と引き止めて悪かったわね。それじゃ」



カラカラと上品な下駄の音をさせて、夕闇の向こうへおばさんの和服姿が消える。













「……疲れた…」





門の向こう、完全におばさんの姿が見えなくなったのを確認して、誰ともなく小さく呟く。

別におばさんを嫌っているわけではないが、年長者、しかもご近所付き合いのある相手との会話は大分気を使うし、それに長い。


一旦捕まると話が長いのはきっとどこの主婦も一緒なのだろう。





(………でも今日は隆さんの出現があったから早く済んだ方かな)






嵐のように現れ幼馴染に感謝しつつ、やっぱり若と似てないなぁ、と内心失礼な事を思う。











もう1人の幼馴染は、今何をしているのだろうか。





長男ほど気の利かない、不器用に優しい次男を思い浮かべながらひとり小さなため息をついた。