「―じゃあ今日はこれで解散とする。あと、パーティに出席するレギュラーの奴ら!せいぜいみっともねぇ格好だけはしてくるんじゃねぇぞ!」


夕陽が落ちたコート内に、跡部さんの声が大きく響く。
時刻は夕方の6時半。
いつもより早く終わった部活動の理由は、今夜行われる跡部家主催のクリスマスパーティ。
「では、解散!」という号令と共に、騒がしくなったメンバーの間を抜けるように部室へ急ぐ。












できるだけ、早く。
声をかけられないように。






聖夜の独白 act.01








レギュラー専用の部室を勢いよく開けて、ロッカーから制服を取り出す。
汗を吸って重くなった練習着は、12月の外気にさらされてあっと言う間に冷えていく。
ひんやりと背中を冷やしていくそれらを脱ぎ捨てて、シャツに腕を通してネクタイを結ぶ。
いつもならたたむはずの脱いだものたちを素早く鞄に入れて、ブレザーを乱暴に引っ掛ける。
ボタンを留める時間すら惜しい。










ガチャリ。










「―あれ、日吉。もう着替え終わったの?」





ドアを開く音とかけられた声に、ぎくりと身を強張らせつつもゆっくりと振り返る。
部室のドアを開けたまま、上気した顔でにこにこと俺の方を見ているのは同じ学年の鳳。




「珍しいね、日吉がこんなに早く着替え終わるなんて。今夜、パーティ行かないって言ってなかったっけ?」
「あ、ああ…。…………お前は参加するんだろ?」
「うん、7時半には跡部さんちなんだよ。と会うのはパーティの後になるから、かなり遅くなっちゃうなぁ」


少しだけ苦笑混じりに言う鳳の表情は、本当は彼女と2人きりで過ごしたかった、という思いがありありと読み取れて。
行きたくないなら断ればいいだろ、と喉元まで出かけた言葉を飲み込んで、荷物を詰めた鞄を乱暴に肩にかける。


会話する時間すら惜しい。
 

「―じゃあな。お疲れ」
「あ、うんお疲れ様」


短い挨拶を交わして、冷たいドアノブに手をかける。


 けれど、部室の外に一歩踏み出した瞬間。








「よう、日吉。そんなに急いでどこ行く気だよ?」







低く響いたテノールの声と共に立ち塞がった、高い影。
俺より頭ひとつでかいその影の持ち主は、いつもの余裕めいた笑みで腕組みをして俺を見下ろす。


「…跡部さん…」
「お前、今夜のパーティ参加しないって言ってたよな?何そんなに慌ててんだよ?」
「…別に、慌ててるわけじゃ……」
「ほう?俺様にはブレザーのボタンを留める暇もなかったくらい、急いでるように見えるがな」
「……………」


ちくちくと鈍く刺すような言いぐさで、跡部さんが俺を責める。
とりあえず指摘されるまま、かけ忘れていたブレザーのボタンを留めると、満足そうな顔を跡部さんがする。


「大分急いでるようだな。何か大切な用事でもあるのか?」
「いえ、別に………」
「嘘つくんじゃねーよ。で、どこのどいつなんだ?俺様の誘いを断ってまで、イブを過ごしたいっていう奇特な女は」
「いませんよ、そんな相手」


くく、と笑いながら言う跡部さんの顔は心底楽しそうで、いつも以上にムカつく。







こんな風に絡まれると思ったから、早く逃げようと急いだのに。








はあ、と小さくため息をついた俺を見て、益々面白そうに跡部さんは言葉をつむぐ。


「女じゃねぇなら、なんで俺様の誘いを断ったんだ?それ相応の理由を聞かせてもらいたいもんだぜ」
「…特に理由なんてありませんよ。元々、大勢で騒ぐのは余り好きではないですし」
「お前の欠点のひとつは他人に対する関心の薄さだな。人脈を広げろとまでは言わないが、少しは社交的になれ」
「余計なお世話です」


自分でも的を得ていると思う、跡部さんの指摘。
はっきりと不愉快の意思を露わにする俺に、跡部さんは勝ち誇ったような笑みをむける。


「7時半」
「は?」
「7時半に、俺様んちのホールだ。お前んちに迎えをよこす。ちゃんと準備しとけよ」
「な、いや、俺は―」
「次期部長を務める気なら、少しくらい社交的になれ。技術だけで上に立てると思ってんな」
「それとこれは別問題じゃ―」
「みすぼらしい格好だけはしてくんじゃねぇぞ?」


「そんじゃな」と言って入れ替わりに部室に入っていった跡部さんが、ドアを閉めた音を確認して小さく舌打ちをする。











予想してた、最悪の状況。











 こんな風になると思ったから、さっさと帰りたかったのに。








うんざりとした思いで自宅へと重い足を動かす俺の側を、幸せそうな若いカップルが通り過ぎて行く。
夕暮れのXmasイブ、寄り添う男女が溢れかえる中、独り身の自分は意外と目立つ。










社交的になれ、という跡部さんの言葉は正しいが、俺が行きたくないのはパーティが嫌だからじゃない。










会いたくない人がいるからだ。






 ◆ ◆ ◆





「 Welcome to the ladies and gentleman!!  Please enjoy tonight.  Merry Xmas!! 」

「「「「 Merry Xmas!!! 」」」」



高々とグラスを掲げて叫んだ跡部さんの声に、ホール中の招待客が唱和する。
カチンカチンというグラスのぶつかりあう音の後、ざわざわと騒がしい歓談が始まる。


「ねーねー忍足、これ超おいC!!あっちにまだあったよー!」
「あー分かった分かったから。恥ずかしいから落ち着き、ジロー」
「ジロー、あっちに羊肉もあったぜー。長太郎もしっかり食ってけよ」
「あ、はい。向日さんが食べてるのはなんですか?」
「牛肉のなんとか添えってヤツ。宍戸の皿に乗ってんぜ」


立食式のパーティ会場。
跡部さんの父親とかの長々としたスピーチの時には立ったまま爆睡してたはずの芥川さんが、料理の並んだテーブルを行ったり来たりと騒がしい。
大人の客が大半の中、氷帝から誘われてきたのはレギュラー・準レギュの俺たちだけのようで、かなり目立つ。
正直、知り合いと思われたくないという思いでゆっくりと離れていく俺に、向日先輩がめざとく声をかける。


「あれ日吉、どこ行くんだよ?」
「ちょっと人酔いしたので飲み物もらってきます」


渡された白いままの皿とフォークをボーイにつき返し、騒がしい集団からゆっくりと離れる。
壁際に並んでいるコンパニオンに勧められるままグラスワインをもらい、透明な白い液体に軽く唇をつける。
いつもならアルコールなど口をつけようとも思わないが、今夜はどうも自暴自棄になっている自分がいる。










早く帰りたい。


あの人に会わない内に。










ワインを口に含んだ瞬間、ぽん、と肩を叩かれ勢いよく振り向く。
振り返った先にいたのは、タキシードを身にまとったいつもより華やかな滝さんの姿。




「―滝さん……」
「どこに行ったのかと思ったら、1人でいいもの飲んでるじゃない」
「え、いや、これは…」
「俺も同じものもらおうかな」


否定する俺の言葉などおかまいなしに、手馴れた様子でボーイに俺と同じものを持ってこさせる。
俺と同じ、白のグラスワイン。
ゆらゆら揺れる液面を見つめながら、滝さんはくすりと笑みをこぼす。


「――なんだか憂うつそうだね。こういう場、日吉は苦手そうだもんね」
「正直あまり好きではないです。人混みは嫌いなので」
「はは、そんな感じする」


ふふ、と上品に笑いながら、滝さんはワインに口をつける。
こくりと小さく上下する白い喉。
男のくせにやけに艶めかしいその仕草に、遠巻きに見ているコンパニオン達が小さく感嘆の息を漏らす。


「…………うん、さすが跡部の家が出すだけはあるね。喉越しが軽くて爽やか。何年物だろ」
「…詳しいんですね。好きなんですか?ワイン」
「こういう場は小さい頃から来てるから。それにしてもすごい人数だね。大人も多いし…。さすが跡部財閥といった所かな」
「外国の方も多いですね。跡部さんちって、海外にも顧客がいるんですか?」
「ああ、ロスにも本社おいてるから。クリスマスパーティといってもこれもひとつの接待みたいなものだよ」
「へぇ…。じゃ、今日の招待客の中で仕事に関係ないのって、俺たちだけじゃないですか?」
「そうだね…あ、いや、もう1人いるね。今日はさんも来てるみたいだし」










                      さん。









滝さんが読み上げた、その先輩の名前に。










どくん、と俺の心臓がひとつ、大きく跳ねる。


















「…………来てる、んですか?先輩」
「そりゃ来るでしょ、夏までマネしてくれてた人なんだし。俺たちが呼ばれるくらいだから、彼女も呼ばなきゃ失礼でしょ」
「…………そうですね」
「それに、跡部もなんだかんだ言ってこういう場では『彼女』見せびらかしたいだろうし。―あ、噂をすれば、ほら」


あそこ、と滝先輩が指差した先。
先ほどまで俺がいた氷帝のテーブル前。
忍足さんたちに囲まれて、にこやかな笑顔を振りまいている先輩の姿。
ドレスからのびた、むき出しの白い腕は跡部さんの腕に絡んでいる。










「…………っ」

















―どくん。
















久しぶりに見た先輩の姿。
会いたくなかったはずなのに。
姿を目にしただけで、無性に嬉しくて切なくて目が離せない自分がいる。





「跡部と挨拶回りしてるみたいだね。俺もちょっと話してこようかな。日吉は?」
「…俺はもう少しここに」
「そう?ちょっと顔色悪いけど大丈夫?」
「……平気です。人酔いしただけなので」


「1人で平気?」とまだ心配そうな滝さんを無視して、ロビーへと続く大きなドアへ向かう。
熱のこもったホールの空気より、一段冷えた静かなロビー。
赤い絨毯の引かれた階段の前、おかれている豪勢なソファに腰を下ろして息をつく。
ゆっくりと瞼を閉じた裏側、脳裏にはりつく跡部さんに寄り添った先輩の姿。









「………くそ……」









だん、と大理石の壁を強く叩く。
薄暗いロビーに反響する、鈍い音。
打ち付けた拳が、じんわりと痛む。










跡部さんの隣で、幸せそうに笑う先輩が好きだ。
好きになった理由なんて、分からない。
気づいたら、惹かれていた。
でも、そんな先輩が惹かれてたのは俺なんかじゃ到底なくて。








「…なんで跡部さんなんだ…………」






いつも目で追っていた、先輩の視線の先には跡部さんの姿。
入部したときからいつか越えたいと思っていた男は、俺の好きな人も、部長の地位も手に入れて、更に手の届かない場所へ行ってしまった。









来なければよかった。









無人の暗いロビーの中、オーケストラの演奏が小さく響く。




閉じた瞼の裏、幸せそうに微笑む先輩の姿が焼きついて離れなかった。