それは中等科の卒業式を終えたばかりの、穏やかな初春の午後の事。
「桜、見に行きたいな」
一向に退院できる気配のない彼が漏らした、たったひとつの願い事。
――――――――桜
「これが寒桜で向こうが八重紫桜。、名前くらいは聞いた事ない?」
「……かんざくら、に、やえ?」
「ヤエムラサキ桜。ほら、花びらが何枚も重なってるだろ?」
「あ、ホントだ」
手近なところにあった桜の枝先をそっとつまんで、幸村はあたしにヤエムラサキ桜の花弁をのぞかせる。
桃色というよりファッションピンクに近い濃い花びら。
先ほど幸村が指差した、真白い寒桜とは全く違う色合いに古人がムラサキと名づけた理由をなんとなく図り知る。
「……同じ桜の木でも、色んな種類があるんだね。初めて知ったかも」
「俺も代表的なのしか分からないから、当たってるか曖昧だけど。染井吉野くらいなら、も知ってるんじゃない?」
「ソメイヨシノ?」
先ほどと同様「?」という顔をしてみせたあたしに、幸村はひときわ大きな桜の木を指し示す。
視線の先に咲き誇る、淡い紅色の花びらを持つ桜。
学校や並木道などでよく見る類の桜に、「ああ」と得心のいった顔をすると満足そうに幸村は微笑んだ。
「日本で桜って言ったら、染井吉野を思い浮かべる人が殆どだからね。俺も吉野桜は好きだよ」
「へえ…」
「丁度見ごろの時期でよかった」
満開の桜の木々を見上げながら、嬉しそうに幸村は微笑む。
舞い散る桜の花びらを全身にまといつかせて、いつも以上に儚げに見えるその容貌。
決して頼りない体つきをしてるわけじゃないのに、どこか消えてしまいそうな、いなくなってしまいそうな雰囲気。
「…………幸村」
「?なに?」
「………………なんでもない」
胸中に芽生えた不安を打ち消すように、伸ばした腕で強く幸村の手を握る。
柔らかく握り返されて、それでもまだ不安の拭えないあたしの頭に幸村が優しく触れる。
「桜」
「え」
「花びら、ついてる」
くすくす笑いながら、あたしの髪についた花びらに幸村が指を伸ばす。
陽に焼けてない、少しだけ細くて白い優しい手。
「………………外出許可、さ」
「ん?」
「けっこう簡単に取れるんだね。もっと手間取るかと思った」
「花見?いーよいーよリハビリついでに行っといでー」と笑顔で送り出してくれた担当医を思い出しながら呟くと、頭の上で幸村が笑った気配。
「最近暖かい日が続いてるしね。外出くらいなら問題ないよ」
「そうなんだ。高等科の入学式までには退院できそう?」
「まさか。今は季節の変わり目で、たまたま調子いい日が続いてるだけだよ」
「…………………」
「本当は卒業式も出たかったんだけど」
間に合わなかったな―と言外にそうのせて、彼はようやくあたしの髪から指を離す。
「はい、取れた」
「…………ありがとう」
「どういたしまして」
差し出された手の平には、少ししわくちゃになった幾枚かの薄い花びら。
枚数を数えるより早く春の風に舞い飛び、桜吹雪に紛れてあっと言う間に見えなくなる。
「…………………風、強いね」
「ああ」
春特有の、まだ少し硬さをのこした冷たい風が頬を撫でて髪を乱す。
あおられた桜吹雪が、舞い上がって幸村を隠す。
「………幸村」
「なに?」
呼びかけたあたしに、彼はいつもと変らない柔らかい微笑を返す。
願わくば、どうかこの儚い桜のように。
彼が消えてしまう事のないように。
「…………大好きだよ」
◆ ◆ ◆
………低糖度(^_^;)
桜の似合うキャラっていったら、幸村しかいなかったんだもの!(学プリ参照)
幸村は 儚いくらいで 丁度いい(笑)←暴言(しかも五・七・五)