「脱いで」 濡れた前髪から滴り落ちる水滴を鬱陶しそうに若がかき上げた瞬間、私のスイッチが入った。 何を言われたのか分かっていないのだろう、「は?」と普段なら絶対に聞けることのない間抜けな若の返事が更に私の征服欲を煽った。 「いいから脱いで。早く」 「……………は?」 「何回も同じこと言わせないで」 羞恥からではなく、同じやり取りを何度も繰り返すのが面倒でそう言った私の言葉に、ますます怪訝そうな顔を若はした。 「彼と彼女の欲求不満05」 部活がない水曜日の放課後は、恋人謙後輩であるこの男と一緒に帰る事が習慣となっていて、今日も例外なく家路に着くところだったのだが、私の家の近くまで来た所で事件は起きた。 今朝のお目覚めテレビで「今日は一日、快晴となるでしょう」とにこやかな笑顔で語りかけていたお天気お姉さんに「この嘘つき女が!」と罵りたくなるくらいの豪雨が訪れたのだ。 キャバクラのホステスに入れ込む中年親父のごとく、「いやあ、お天気お姉さんが言うなら雨なんて降るわけないじゃないかぁ」と信じ切っていた私が当然傘など持っているはずもなく、またいつもならテニスバッグの中に折り畳み傘を忍ばせているはずの日吉も、部活が休みの今日は持ちあわせていないという運のつき。 住宅街のこの周辺には雨宿りになるような軒下や木陰は当然ながらなく、駆け込む先は必然的に私の家となる。 ただいま、の声もおろそかに飛び込んだ我が家は雨のせいだけでなくうっそりと静かで、いつもならいるはずの母親がいない事はすぐに分かった。 「………最悪……まさかいきなり降ってくるとかないわー……若、大丈夫?」 「俺はさほど濡れてませんが……。先輩こそ、大丈夫ですか?」 「あ、私も言うほど濡れてないんだけどさ。ってか、とりあえずタオル取ってくるわ」 勢いで飛び込んだはいいものの、無断で他人の家にあがった事に遠慮を感じているのか、少し居心地悪そうにしてる若を玄関に残して静かな我が家へと上り込む。 勢いよく降り出した夕立はどうやらにわか雨だったらしく、ローファーから脱いだ足がフローリングの床に濡れた足跡を残すような事はない。 どうせならこちらが家に帰り着くまで降り出すのを待ってくれればよかったものを、と文句を言いたくなったが、言った所で時間が戻るわけでもないし、もとはと言えばお天気お姉さんを信じてしまった自分に非があると考えるべきだろう。 主に被害を受けた制服と髪の毛を押さえるべく、乾いたタオルを持って若の元へと戻る。 「はい、タオル。1枚で大丈夫?」 「ええ。ありがとうございます」 「止むまで家で休んでく?今お母さんいないから、気使わなくていいし」 自らの髪をわしわしと乱雑に拭きながらそう声をかけると、「いえ、今日は道場で稽古があるので」と間髪なく返ってきた言葉にくすりと小さな笑みがこぼれる。 今時珍しいくらいに折り目正しい若の事だ、例え稽古がなかったとしても「親がいない」間に女の子の家に上がり込むという事は、彼の中の節度に反する行為に違いない。 これまでに、若の部屋にお風呂場、果ては私の教室で、など、色んな場所で色んな行為に及んできている私達だが、だからといって「まあいいや」という考えに至らない点はさすが若といった所か。 これが関西から来た某変態エロメガネだったら、「ほんじゃの部屋で一発やろか」という流れになる事は間違いない。 「んじゃ傘借りて帰る?もうだいぶ雨、弱まってはいるみたいだけど」 「そうですね。拭き終わったらお借りしていいですか?」 「りょーかい」 濡れて染みになるのが気になるのか、水気を孕んだ髪の毛はそのままに未だ制服の肩口を丁寧に押さえている若の頭に、もう一枚タオルを放り投げてやる。 神経質というよりも育ちの良さが出ているのだろう、決して女々しく見えないその仕草にぼんやりと目を奪われる。 さほど濡れていない前髪から滴り落ちた、小さな小さな水滴をわずらわしそうに拭う表情にぞくり、と寒気からではない身震いが走る。 鬱陶しそうに眉をひそめるその顔は、情事のさなかに快楽に堪える時のそれとよく似ている。 ごくり。 表情だけで欲情する、そんな私に若は気付いているのかいないのか。 「脱いで」 濡れた前髪から滴り落ちる水滴を鬱陶しそうに若がかき上げた瞬間、私のスイッチが入った。 「……………………………………は?」 「いいから脱いで。早く」 返事を待つより早く若が手にしたままのタオルを奪い取り、濡れた髪をかきあげて無理矢理唇にキスをする。 玄関と段差がある敷居のおかげで、上り框に立っていた私と若の身長差は殆どなく、いつも以上に容易く彼の舌を捉えられる。 不意打ちどころか性急すぎる私の行為に固まっていた若が我に返ったのか、慌てて引き剥がしにかかり、絡ませていた舌が無理矢理離される。 「…っ、なに、してるんですか、いきなり…!」 「脱いでって言ったじゃん」 「脱いでって…………先輩、ここがどこか分かってるんですか?」 以前教室で、流されるがまま行為に及んだ時とはさすがに違い、拒否の意をあからさまに出してくる若の顔はかなり険しい。 大人しく諦めるべきか、という考えがちらりと頭をよぎったが、一度入ったスイッチはそうそう簡単に抑えられるものじゃない。 今すぐその形のいい喉仏に噛みついて、背中に爪を立てて、快楽に眉をひそめて、苦しげに私をねだる声を聞かせてほしい。 「お母さん、あと1時間は帰ってこないと思うけど」 「だからと言って、こんな場所でそういう事は出来ません」 「んじゃ、上がって?私の部屋ならいいんでしょ?」 「っだから今日は稽古があると―」 言ってます、と続けようとした若の唇に触れるだけの軽いキスを落とし、戸惑ってる隙に玄関に置かれた彼の鞄を素早く奪い取る。 今日中に仕上げなければならない課題がこの中に入っているのは把握済みだ。 人質がわりの鞄を抱きしめて「じゃ、部屋で待ってるねー」と言い捨てて素早く自分の部屋へと向かう。 「ちょ、先輩!?」 「早いとこしないと、お母さん帰ってくるかもねー」 「ふざけるのも大概にしてください!鞄、返して下さい!」 驚きと苛立ちを含んだ若の声に振り向きもせずに足を進めると、些か戸惑いながらも靴を脱ぎ追いかけてくる気配。 どんだけ課題が大事なんだよ、と真面目すぎる若に多少呆れを感じながらも、それでも近づいてくる足音の持ち主を素直に愛しいと思う。 たどり着いた自室のクローゼットの中に素早く鞄を隠して(若の事だから、絶対勝手に部屋探しなんか出来ないはずだ)ベッドに腰掛けると、追いついた若の厳しい表情ににっこりとほほ笑んでやる。 「お母さん、帰ってくる前に済ましちゃわないとだね?」 少しだけ湿ったブラウスのボタンをひとつ、ふたつ、みっつ、と外しだした私に、悔しそうな顔をしながらも若がごくりと唾をのんだ音が室内に響いた。 |