いやぁ、今回はちょっとしくじったわー。 そう言って唇に薄い血を滲ませた先輩が部活に現れた瞬間、レギュラーコート内は騒然となった。 嫉妬 「―だーからぁ、薬なんていらないって!はーなーしーてー!離せ!」 右頬を少しだけ腫らして切れた唇を手の甲で拭いながら、「ほっとけば治る」と頑として治療を拒否し続ける先輩を、跡部さんは苛々と、忍足さんは呆れ返った表情で見る。 じたばたと暴れ続ける先輩の両腕を無理矢理掴んで、よいしょよいしょ、と部室に引きずりこんでいるのは芥川さんと向日さん。 二人とも中学3年生15歳男子の平均身長より明らかに小柄なはずだが、やはりそこは男女の差なのか、全力で抵抗してるはずの先輩はいとも簡単に部室へ引きずりこまれていく。 「滝さん、消毒液ってどれ使ってましたっけ?」 「どれでも開封してあるヤツから使っていいよ。どうせだから1番沁みる消毒液使っちゃおうか」 ガサガサと救急箱の中身を物色し始めた鳳に、滝さんが冗談とも本気ともつかないにこやかな笑顔でそう応える。 父親が大学病院に勤めている(らしい)忍足さんが、「そんならこれが一番効くはずやで」と喜々としてマキ○ンを差し出すのを、宍戸さんが同情するかのような目で見ている。 「…、諦めて手当てしてもらえよ。こいつら、お前がうんって言うまで諦めないぜ?」 一歩離れた所から一連の流れを見ていた宍戸さんの言葉に、とうとう抵抗を諦めた先輩が従ったのは、それから15分も経過してからの事だった。 ◆ ◆ ◆ 「いったー!!ちょっアンタもうマジ痛い痛いイタタタタタタしーみーるー!!」 「暴れるともっと沁みんでー」 「もう十分に沁みてるわ!!ちょっと痛い痛い痛い痛いっつってんだろーが、忍足アンタわざとやってるでしょ!?」 消毒液を浸した綿球を手にしてニコニコとやけに楽しそうに手当てをする忍足さんに、未だ諦め悪くじたばたと暴れ続ける先輩。 「………あれだけ元気なら放っといてよかったんじゃねーのか」 部長専用のやたら豪勢な椅子に腰掛けた跡部さんが半眼でそう言うのに、滝さんは「それじゃ面白くないじゃない」と、さらりと腹黒い発言をする。 「―それにしても平手打ちなんて酷いですよね。顔に傷が残らなきゃいいんですけど…」 「いくらなんでも痕は残んねーだろ、あの程度の傷。ちょっと腫れて切れてるだけじゃねーか」 「けどよ、が怪我して帰ってくんの珍しいよなー。昔はさ、呼び出しくらっても逆に殴り返して無傷で帰ってきてたのにさー!」 「あー、俺前に屋上で寝てた時に、丁度が呼び出しされてる所見たことあるC!!マジマジすっげーの、さあ、5対1だったのにマジ無傷だったんだぜ!?すごくねー!?」 物騒な内容をけらけらと楽しそうに話す芥川さんと向日さんに、この人たちは本気で先輩の事を心配しているのだろうか、という疑問がうっすら沸いてくる。 俺や鳳、樺地ら2年生は余り知らない事実だが、先輩が男子テニス部のマネージャーになった当初は、今よりもっと頻繁に呼び出しやら闇討ちやら嫌がらせやら、とにかくありとあらゆる仕打ちを受けていたらしい。 3年生という最上級生になった今でさえ、今日のように呼び出しを受ける事があるのだから、当時まだ1年生だった先輩の敵は今よりも数多くいただろう。 最もそんな嫌がらせに屈するようでは男子テニス部のマネージャーは務まらない(というか、そんな相手に手こずるようでは跡部さんの相手はしてられない)ので、逆にやり返す辺りはさすが先輩だと思うが、今回はどうやら相手の方が一枚上手だったらしい。 「口開けて舌出しや」 「ん」 言われるがまま切れた唇を先輩が開けると、乾いた血が蛍光灯の光をキラリと反射する。 ちろりと見えた赤い舌先は、血液のせいなのかそれとも濡れた唾液が光を反射したせいなのか、ひどく扇情的だ。 わずかに覗く舌先に、なぜかやましい想像に陥りそうになった俺を滝さんが見透かしたような目で見る。 不愉快なその視線から逃れようと目を逸らすと、隣にいた鳳の顔が俺よりも赤く染まっているのに気づいて、考えることが同じだという事実に情けなくなる。 「―ん、舌は切れてへんな。もうちょい口開けてみ」 「んー」 「あー、やっぱりな。頬の内側切れてるわ」 あーあ、と同情するようなため息をついた忍足さんが、手際よく乾いた脱脂綿を先輩の頬へ詰めていく。 先程まで使っていた、透明な消毒液を浸した綿球は所々赤く染まっていて、どうやら傷の割に出血量は多いらしい。 「口ん中の粘膜は薄くて血管多いねん」と言う忍足先輩の手先はひどく滑らかで、医者の息子だからなのか、それとも元々器用だからなのか。 壊れ物を扱うように、大事に優しく先輩に触れる忍足さんに、手当てだと分かっていながらも嫉妬してしまう俺はきっと心が狭い。 「しばらくはメシ食うとき沁みると思うでー。ま、すぐ治ると思うけどな」 「……ひゃーい」(はーい) 「完璧に血が止まったら、口ん中の綿とってええで。それまではあんま喋ったりしたらあかんよ」 「ひゃひゃっはー」(わかったー) 口内に詰められた綿が気持ち悪いのか、もごもごと喋りにくそうにしながらも頷いた先輩に、部室内がようやくホッとしたような空気になる。 なんだかんだ言いつつも、皆先輩が心配だったらしく、あの跡部さんですら眉間に寄った皺がようやく消えたのが、離れた場所にいた俺からでも分かった。 表現の仕方は違えど、マネージャーとして慕われているという事実に安心すると同時、身勝手な嫉妬心が芽生えたのも自覚して、我ながらほとほと狭量なことだと思う。 「―おら、いつまで部室にたまってんだ!さっさと練習再開すんぞ!全員外に出ろ!!」 自らも部室に入っていた割に、偉そうにそう言って外へ出て行った跡部さんに、ぞろぞろと皆が続く。 「次球出しからだよなー?侑士、俺とペア組もうぜー」 「宍戸さん、俺達はランニングからでしたよね?」 がやがやと騒がしく話しながら出て行く仲間を見送って、最後尾についた俺は、ドアノブに手をかけたまま未だ部室内にいる先輩を振り返る。 いってらっしゃーい、と、いつもの元気な声はないけれども、いつものようにニコニコと笑いながら手を振るその姿。 「…先輩」 「はひ?」(なに) 「これからは、あんまり怪我とかしないで下さいよ」 「へ?」 全く持って予想していなかったのだろう俺の言葉に、きょとん、という顔をする先輩。 いつもなら「は?なにそれ?なんで?」とかいう言葉が矢継ぎ早に返ってくるのだが、口の中に詰められた綿のおかげか、目の前の人は「?」という表情をするばかり。 「―腹が立つんです」 「?」 「女に傷つけられただけでも我慢ならないのに、男に触られてるのは、もっと」 ―例えそれが手当てと分かってても。 そう続けた俺の言葉に、目を見開いた先輩の顔を最後に、俺はコートへ続くドアを開ける。 目の前で球出しの準備をしている忍足さんに、さて、どうやってこの怒りをぶつけようか、とばきりと指を鳴らした俺を、楽しそうに見ている滝さんと跡部さんはきっと全てお見通しなんだろうな、とか思いながら。 |
◆ ◆ ◆
お待たせしました睦月芽里さま!
リク作品、遅くなってしまって、ほんっとうに申し訳ございません(スライディング土下座)
おま、ちょ、3ヶ月以上待たせといてこれかよ、という文句も大歓迎でございます(ひたすら恐縮)
これからも同じ日吉大好き仲間(笑)として、どうかよろしくお願い致します。
大好きです!(何いきなり告白)
リクありがとうございました!