「日吉せんせぇー、問6と問7と問8と問9がわかりませぇーん♪」
ひらひらとほぼ白紙のプリントを振って見せたあたしに。
幼馴染のはずの彼は、もう何度目になるかわからないため息をくれた。
< これってセクハラ? >
「……どこが分からないんですか、さん?」
未だに見慣れないスーツ姿に身を包んだ若兄が、ため息をつきながらあたしの机に視線を落とす。
夕暮れの赤い教室に教育実習生と二人きりという、なんとも甘いシチュエーション。
なのに、ちっとも甘くならないのは一緒にいる相手の眉間に寄ったシワと、18年間続けている幼馴染という間柄のせい。
「問6から全部、わっかりっませーんッ♪」
「問6……ここはさっき連立方程式を使うようにと言ったでしょう」
「その連立方程式ってのがぁ、分からないんですぅー」
うふ♪
と、効果音がつきそうなぐらい可愛い子ぶって首を傾げてみせるけど、目の前の教育実習生兼幼馴染はそれぐらいで答えを教えてくれるような甘い人なんかじゃ、到底なくて。
ぴく、と額に薄い青筋を浮かべて若兄は低い声で呟く。
「………あなたのは、分からないんじゃなくて解く気がない、の間違いじゃないですか?」
「先生、ひどぉいっ!あたしが真面目に取り組んでないって言うんですかぁ?」
「…その気色悪い話し方、やめなさい」
ぶりぶりと効果音がつきそうな程、キャピってみせるあたしを冷たく若兄が嗜める。
ム、とちょっと膨れ面をしてみせれば、それこそ「変な顔がますます変になりますよ」と冷たく返される。
「………若兄、ひどーい……女の子に変な顔って言ったー…」
「だらしない生徒に注意しただけです。……………あと、『若兄』は止めろって言ったはずでしょう?」
「〜〜〜〜若兄こそ、その不自然な敬語やめてよー!今は2人きりなんだからいつもどおりでいいじゃんか!」
「よくない」
生まれてから18年間、『 若兄 』と呼んでいたのに、今更『 先生 』だなんて簡単に呼べるはずがない。
公私混同するな、と厳しく若兄は言うけれど、だからこそ2人きりのこういう時くらいは幼馴染として接してくれてもいいと思う。
むすっ、と、本当に膨れてみせたあたしを、若兄は本心からめんどくさそうな顔で見て、それからふと何かに気づいたかのようにドアの方に視線を向ける。
「…………どうしたの?若に…」
「しっ」
ドアの方を見ていたかと思うと、若兄がいきなり声を低くしてあたしの口元に手を伸ばす。
突然唇に押し付けられた若兄の手の平に戸惑う間もなく、廊下から聞こえてきた足音に思わず体が固くなる。
コツコツ、と徐々に近づいて来る、上ぐつとは違う、革靴の足音。
遅れて重なるように聞こえてきた幾人かの話し声に、机を挟んだ向こう、若兄の体もわずかに緊張したのを手の平越しに感じる。
「―――で、どうかね今回の実習生達は……」
「そうですねぇ…近頃の若い者はあまり意欲が見られませんが、今回は………」
ドアに映った数人の大きな影と低い声に、教師達が教室の前を歩んでいる事を知る。
別段やましい事をしているわけではないが、男の教育実習生と女子生徒が2人きりで教室に残っているというのは決して好ましいと言えない状況。
押さえ込まれた手の平の下、ごくりと唾を飲み込んだ音すら漏れてしまいそうでどくどくと心臓が早鐘のようになる。
(………早くどっか行ってー!!!)
談笑しながら去って行く足音を用心深く聞きながら、話し声が完全に聞こえなくなるまで2人、身動きせずに息を潜める。
唇に触れる若兄の大きな手。
呼吸がひどく苦しく感じる。
「………………行った、か?」
さすがのこの状況に言葉遣いが素に戻ってしまったのか、いつも話すような口調で若兄が確認するようにあたしに問う。
未だ若兄の大きな手で口元を覆われたままのあたしは、唇を動かす事すら出来ず、視線だけで同意してみせる。
ふ、と若兄が小さく息をついたのにつられて安堵の息をつこうとして、今更ながら呼吸が苦しい事を思い出す。
「〜ッ、ふぐっ、ん〜、うう!!」
「?……………ああ、悪い」
「……っぷはー…。はー…」
ようやく解放された口で、ぜーはーと荒い呼吸を繰り返す。
少しだけ非難めいた視線を送れば、先ほどまであたしの唇を押さえていた手の平を、若兄は訝しげに見つめていて。
「……なんだ、これは」
「は?」
「、お前何か塗ってるのか?」
ぱっ、と再び差し出して見せてくれた若兄の手の平には、わずかに薄いピンクの色がついていて。
そういえば今日は色つきリップをつけていたっけ、と思ったあたしの唇を見て、若兄がわずかに眉をひそめる。
「………校則違反だぞ」
「…………へ?」
「化粧。生徒手帳にも書いてあるだろ」
だいいちお前にはまだ早い、と言って手の平に残ったリップを、若兄がハンカチで丁寧に拭き取る。
まるで汚いものを触ったかのように綺麗に拭き取る若兄に、少しカチンときながらも胸ポケットから色つきリップを取り出す。
「化粧じゃありませーん。リップですー。乾燥防止につけているんですー」
「リップ?」
「色つきリップだけどね」
カチ、と音を立てて蓋をとり、薄ピンク色のリップをくるくると回して出す。
甘いフルーツの香りがふわりと広がり、若兄が少しだけ顔をしかめる。
「……苺の匂いがする」
「ああ、これストロベリーの香りつきだから」
「へえ」
大して興味なさそうに、さっさと問題を解け、と言いたげな若兄の視線を無視してリップを軽く塗りなおす。
胸ポケットにリップを戻して、残りあと14問、とシャーペンを握ったあたしの腕を、若兄が急に強く握る。
少し痛いくらいの強い力。
いきなり何、と見上げれば、机をはさんだまま顔だけ寄せた若兄のドアップ。
「今、注意したばかりだろ」
「は?」
「それ」
なに、と問い返す間もなくいきなり視界が一面茶色に染まって。
頬に触れたさらさらした感触に、それが若兄の髪だと気づくのに3秒。
今塗りなおしたばかりの唇に、若兄の唇が押し当てられていると気づくのに7秒。
「………っん、……………………っ!!」
たっぷり10秒、間抜けにも固まったあたしからようやく若兄が唇を離して、一気に視界が元に戻る。
呆然としてしまったあたしに対し、若兄は平然と自分の唇を手の甲で拭って小さく息をつく。
「お前には、まだ早い」
若兄の手の甲に、先ほどあたしが塗ったばかりのリップの色が薄く残る。
何が早くて何が起きて何をされたのか。
その全てを問いかけようにも、今しがた塞がれた唇は上手く言葉を発音できずに。
「な、ななななんあななんんあんなあああああ!!??」
「静かにしろ。また誰か通ったらどうする」
「わ、わか、わかわか、わか、若兄がいきなりあんな事するからでしょう!?」
セクハラ教師、と怒鳴ってみせるあたしの口を、再び若兄は手の平で塞いでにやりと笑い。
「セクハラ?教育的指導だろ?」
と一言。
再び押さえらた唇の下、言葉も発せずどくりと胸が大きく鳴る。
放課後のセクハラ教育実習生。
◆ ◆ ◆
リンクにて仲良くして頂いている、くりぃむ☆ぱふぇの羽音さんちで主催されている「センセとあたし」の企画提出作品です!
…なーんじゃこりゃあ!!??
こんなもん提出しちゃっていいんですか、羽音さん!?(よくない)
羽音さんちには、他にも素晴らしい作品が沢山あるので、お目汚し程度に読んでください(笑)