どのくらいの時間、そうしていただろうか。 絶え間なく流れ続けるオーケストラの演奏に重なって聞こえた、硬質的な音にふと瞼を持ち上げる。 視界に広がるのは、変わらない薄闇。 その暗がりの中、遠くから響く軽い金属の音。 (…………足音?) カツカツと響く小さな音は、多分ヒールと床がぶつかりあって奏でる音。 女姉妹のいない俺にとっては耳慣れないその音に、黙ったまま耳を澄ます。 わずかに遅れて聞こえてくる細い声。 (…………女?) 少しずつ大きくなるその音に、じっと黙ったまま目を凝らす。 うすい暗がりに、ぼんやり浮かび上がるドレスのシルエット。 「誰かいるのか」、そう言おうと口を開きかけた瞬間だった。 「―――――やっと見つけた、日吉」 聖夜の独白 ...act.3 いきなり呼ばれた名前と、表れた人物に心臓が2回大きく跳ねた。 薄闇にぼんやりと浮かぶ、白いドレスの輪郭。 結い上げた、長い髪。 そして、俺を見つけて嬉しそうに笑うその表情。 紛れもない、先輩、張本人。 「どこ行ったかと思ったー!跡部んち広いからこういう時不便なんだよねー。いっそ改築してしまえ」 あはははは、と明るく笑いながら先輩は言う。 いきなり表れた先輩を信じきれず、未だ呆然としたままの俺に先輩はいつもと変わらない微笑を向ける。 「隣、いい?」 「え、あ、はい」 「ありがと」 俺が腰掛けてるソファ、すぐ側に腰を下ろされてその近さにまたひとつ鼓動が跳ねる。 ふわりと匂った少し甘い香り。 嫌というほど覚えのあるその香りに、ずきりと小さく胸が痛む。 跡部さんと、同じ匂い。 「……久しぶり、ですね」 ようやく口をついて出た、間抜けな挨拶に先輩も「そうだね」と柔らかく頷く。 乾ききった唇に、自分がひどく緊張してる事を知る。 落ち着け、俺。 「先輩も、来てたんですね。知りませんでした」 「アンタこそ、来てたなら声かけてくれればいいのに。めちゃくちゃ探し回ったっつーの」 「?俺を、ですか?」 「アンタ以外に誰がいるのよ」 至極同然のように言い返され、嬉しくなると同時に切なくなる。 無意識に、期待してしまうような言葉。 勘違いするな。 この人が好きなのは、俺じゃない。 「探した…って事は、俺に何か用事でも?」 「別に?ただ顔が見たかっただけ」 ドクン。 現金な心臓が先輩の言葉のひとつひとつに反応して、その度に大きく跳ねる。 胸の奥が刺されるように熱くて痛い。 『顔が見たかった』、なんて。 そんなの俺だって同じだ。 夢にまで見るくらい会いたくて、でも会ってしまえば取り返しのつかない事を言ってしまいそうで。 今日来たくなかったのも、全てはあなたに。 会いたくなかったから。 黙りこんだ俺をちらりと見て、先輩はひとつ小さなため息をつく。 「…跡部がさ」 「え?」 「跡部がさ、心配だって言うんだ」 唐突に出てきた跡部さんの名前。 全く脈絡のない話題に、聞き返すように顔を見れば「独り言なんだけど」と笑いながら先輩は続ける。 「せっかくのクリスマスなのにさ、彼女のあたしに構ってくれるどころか、今後のテニス部が心配だ、とかほざいて日吉とか長太郎とか樺地の心配ばっかりしてんの。彼女ほったらかしでだよ?信じられる?」 「……………」 「テニスとあたしとどっちが大事なのー!?とか言う様な馬鹿女にはなりたくないから聞かないんだけど、多分アイツの頭の中99%アンタの事よ。軽く嫉妬しちゃうんだけど(笑)」 けらけら笑いながら、ちっとも怒ってないような口調で先輩は言葉をつむぐ。 静寂に響く、先輩の声。 時折言葉に重なるオーケストラの演奏が、まるで何かの呪文のように俺の耳に届く。 「あたしよりもテニスを優先したり、今日みたいなイベントの日だって別の事考えてるし、今日だってドレス姿誉めるかと思えば馬子にも衣装とか言いやがるし、なんで跡部なんかと付き合ってるんだろ、なんて思うこともかなりあるんだけどさ」 「でもさ、そうやってテニスの事とか皆の事、考えてるアイツが好きになったんだから、まあいっか、なんて思っちゃうわけよ」 はにかみながらそう言い切った先輩は心底幸せそうで。 「跡部じゃなきゃダメだ」と。 笑いながら、「だからアンタとは付き合えない」と拒否されてるように思えた。 「……………惚気は聞きたくないんですけど」 「違うってば、独り言。日吉は跡部に愛されてるんだって事が言いたかったの」 「………………………それはどうも」 全く悪気のないはずのその言葉が、ちくちくと俺を突き刺すような皮肉に聞こえてしまう。 だって、どれだけの人に愛されていても、肝心な人に好かれないのでは意味がない。 「…先輩」 「ん?」 ようやく出た、少しかすれた声に自分が思った以上にダメージを受けてたことを知る。 務めて平静を装う俺に気づかないまま、先輩は腕時計に視線を落とす。 「……そろそろ跡部さんの所に戻った方がいいんじゃないですか?あの人放っておくと何しでかすか分からないですよ」 「んー、そーしよっかな。アイツに黙って抜けてきたし」 「独占欲の強い恋人を持つと苦労しますね」 「ホント、大変」 口ではそう言っておきながらも、幸せそうな表情の先輩に、苛立ちにも似た嫉妬心が膨れ上がるのが分かる。 どうして、いつも敵わない。 どうして、俺じゃない? 「じゃあね、日吉。話できて良かった」 ソファから立ち上がった瞬間にも香った、跡部さんと同じフレグランスの香り。 その匂いを感じた瞬間、俺の中の何かが音を立てて崩れたのが分かる。 ばいばい、と手を振る先輩の細いむき出しの腕。 その二の腕を、思い切り強く握る。 「…日吉?」 「行かないで下さい」 「……………は?」 明らかに戸惑った表情と声。 握った二の腕、触れている肌から先輩の体温を直に感じる。 「………日吉?」 どうしたの、と困ったように言う先輩の肩を思い切り引いて背中から抱きしめる。 腰から腕を回して、逃げられないように、強く。 「―っ、ちょ、何、ひよ…っ!!」 「行くな」 「……っ!」 耳元で囁くと、びくりと先輩が体の動きを止める。 首筋を指でなぞって、むき出しの背中にそっと唇を落とす。 痕が残らないよう、あくまでも優しく。 「…!何してんのひよ…っ!ちょ、離して!」 「嫌です」 「嫌って、アンタ何考えて…!」 「だって離したらあなたは跡部さんの所に戻るでしょう?」 「当たり前よ!!」 さも当然、というように言い返されて、胸の奥がずくんと痛くなる。 このまま、力ずくで先輩を無理矢理奪っても。 このまま、大人しく解放して跡部先輩の下へ向かわしても。 どういう行動をとっても、先輩の心が俺にむく事がないのなら、せめて。 「今だけでいいんです」 「はぁ!!?」 「―もう少しだけ、このまま………。先輩の事、感じさせてください」 冷えたロビーの中、抱きしめた先輩の体温だけが心地よい。 諦めたように抵抗をやめた先輩がついた小さなため息に、申し訳なく思いつつも抱きしめた腕に力を込める。 少し痛いくらいの強い力。 それでも先輩は何も言わない。 窓の外、ちらちら舞う粉雪だけが俺たちを静かに見つめている。 「先輩」 「………なに?」 「ずっと言いたかった事があるんです」 「……………なに」 いつの間にかやんだオーケストラの演奏。 静寂に、俺の声は静かに響く。 「あなたが、好きです」 ―Fin |
Merry Xmas with you.
From 「 This sky is embraced closely. 」
Written by Yumi